物も人も、ひとつの存在である。
物も人も、ひとつの存在である。
遅ればせながら、新年おめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
きょうのテーマは、「物も人も、ひとつの存在である。」です。
物もひとつの存在であるし、人もひとつの存在。
字の通り、あたりまえですよね。
では、どういう意味でつかっているかというと、
物も人も、「ひとつの存在」であるから、どちらも同等に扱いましょう、というお話です。
一般的に、物のほうが、人よりも「格下げ」な扱いをうけると思います。
例えば、空き巣の被害にあったとき、
「物や現金をとられても、命をとられなくてよかった。」などという表現をします。
物より、命のほうが大抵「上」の扱いです。(もちろん、命は大事です!下の扱いにしようということではありません。)
ですが、今日のお話は、命と物をイコールで捉えてみましょう、というご提案なのです。
命(じぶん)より物が大事になると(つまり、じぶんの価値が低いと)、家の中に物が溢れてきます。物が優位の状態です。
物より命(じぶん)が優位だと、物を粗末に扱います。
壊れても、また買えばいい、という上から目線な感じでしょうか。
そうではなく、物も人も、おなじひとつの存在として扱ってみる。
そうすると、どうなるか?
日本では、古来から、物に魂が宿ると考えられています。
針供養や、人形供養がそのわかりやすい例えです。
物と人をおなじ存在として対応しています。
職人の世界でも、「心を込める。」などという表現があります。
わたしたちは、目の前にある物も人も、
じぶんと切り離された一個の存在と捉えていますが、
じつは切り離されてなどいなく、つながった存在なのです。
心を込めるとは、つながりを強く意識するということです。
例えば、慈しむ思いがこもった食材でつくったお料理は、きっととても美味しいことでしょう。
「そこにいてくれてありがとう。」
という感謝の念もわいてきます。
そんな人の想いが、また物に宿ります。
物を大事にすることは、じぶんを大事にすることにつながります。
物に想いがあるならば、物はなにを感じているでしょう。
じぶんの意思で動くことのできない「モノ」は、どんなときもその場に居続けます。
モノは、どんな気分でそこに居るのでしょう。
モノをひとと同等に扱うとき、そこに素晴らしいエネルギーの循環がはじまります。
あなたとモノとの交流がはじまります。
ひとも、いい意味で目をかけてもらえると、がんばろうとやる気になります。
物もおなじです。
交流のあるモノは、イキイキと輝きを放つことでしょう。
輝きを放つモノをみると、人もイキイキと輝きます。
お互いに、命を輝かすのです。
(ナンバーインスピレーションカードや、
カラーボトルとひとの関係は、まさにこんな感じです。)
ひとが「太陽」で、物は太陽の光を反射する「月」のように、
お互いに対の関係で存在しているのではないかと思います。
しかし、家のなかの全てのモノと交流することは不可能です。
あきらめも必要です。
毎日交流するもの、週に一度のもの、月に一度、年に一度、3年に一度、いろんなつきあい方があると思います。
いま、目の前にある存在は、あなたにとって、どんな存在でしょうか。
交流ができない物とは、縁を切ると決めましょう。
(家族のものは勝手にできませんので、まずはじぶんのものに責任を持ちましょう。)
「決める」ことが、あなたの思考を整理し、居心地のいい空間を呼び寄せます。
2015年1月の今月の社会サイクルは9です。
不要なものを手放し、次なるエネルギーがやってくる受け皿をつくる時です。
あと2週間あります。
あなたとモノの関係をはっきりさせておきましょう。
来月2月は、社会サイクル1です。
あなたの世界に、新しい物語がはじまりますよ。
長濱晴子